ももクロさんに出会って10年経ったのでまとめ(ダークサイド編)

忙しい人のための要約

ももクロさんに出会ったおかげで人生変わった人間の10年間についてのまとめです。 言いたいことの主題はももクロさんありがとうですが、ももクロさんの話と同じくらい個人の人生の話が書いてあります。

まとめの動機

ももクロさんについての感想文をずっと非公開のブログに書いてましたが、10年の節目だしまとめてみるかーと思ったのがきっかけ。

非公開で書いてた理由は2つあって、

  • ももクロさんの話を書こうとすると自分の人生の話に繋がってしまうため(身バレ怖い)
  • ももクロさんについての文章を公共の場で書く覚悟と自信が無かったたため(ももクロさんのイメージを損なう可能性への恐れ)

なんですが、ブログの文字数カウントしたら24万文字くらいになってて、色々時効だろうし忘れる前にまとめとくかーってなりました。

ももクロさんとの出会い

2012年12月31日、 ももクロさんが初出場した紅白歌合戦を見たのが本当の最初の出会いでした。

普段紅白とか見てないのに、その年は見てて、紅白出るくらいすごいグループなんだ、どんなんだろーという好奇心で見てた気がします。

その頃の自分のバックグラウンド

ももクロさんのファンになったきっかけを書くには、その時の自分の状態を書かないと難しいので箇条書きで書きます。

  • 2011.3.11で調理師の内定取り消しになり新卒でニートになった

  • その年の6月にやっと就職できたがその店が1カ月そこらで経営破綻し再ニートになった

  • その年の9月に前の店の親方の伝手で割烹に再就職したが3時起きで21時まで仕事とかザラで休み週1で怒られてばっかで、調理師の夢は叶ったが調理が全く楽しくなく自己嫌悪のループだった

  • 心が動かなくなり「生きがい 楽しみがない」でネット検索よくしてた

  • 2012.10月に店の2階から転落し4か所骨折して全治3か月の大怪我

かなり端折って書いても詰んでますが、とにかく今振り返っても一番どん底だった時期です。

なので紅白見たのは入院中、お正月なので3日間の外泊許可取って実家に居たときでした。

そんな中ももクロさんに出会えた自分はめちゃくちゃ幸運だったなと思います。本当に。

なぜファンになったか

以下、当時のブログから抜粋。

全力のライブを見て、彼女たちはそんじょそこらのアイドルとは全然違う次元だなと感じ。
全力だからこそ、こころに響いてきて、応援しなければと思わされた。
彼女たちのステージングには人を奮い立たせる力がある。
自分も頑張って生きなきゃって思わせるアイドルなんて絶対他には存在しないし、ももクロは本当にすごいと思う。

紅白を見て存在を知り、紅白のドキュメンタリーを見てその自分がたまたま見た紅白の舞台の特別さを知り、芋づる式に歴史を調べて、 配信のももクロChanやUSTやライブDVDや曲を時系列順に追いかけていたら、抜粋のようにファンになってました。

これまで「アイドル」とは全く縁遠い人生だった(むしろ楽曲で勝負してないという偏見でアンチだった)のに、 スターダムを駆け上がる物語性やももクロさんたちの人柄やライブの熱量に惹かれてった典型的なモノノフ一丁上がりですね。

心が動かなくなり「生きがい 楽しみがない」でネット検索よくしてた

社畜期間は心無くしてたんですが、3カ月の入院と1カ月の自宅療養期間で仕事から離れたおかげで回復して、 早見あかりさん卒業の中野のDVDとかその前後のUST見て一日中泣いたりしてました。

心動いてますね。ももクロさんすごい。

ただファンになっただけでももクロさんに救ってもらった話

それから療養期間を経て、いろいろ悩んだけど元の調理の職場に戻りました。

骨折前と同じ長時間労働に戻りなかなかももクロさんを追いかけられずただ、いつかライブに行きたい!それまでは死ねない!って気持ちだけありました。

2013春一西武は一般で取れなくて、2013夏バカ日産はAE入ってたけど落選だった気がします。

初めて取れたチケットは氣志團万博で、やっと初めてももクロさんのライブに行けるぞ!って気持ちで頑張ってたんですが、 3連休で予約がびっしり入ってしまい休みを取り消され結局行けず。

同じ時期に右耳だけ原因不明の難聴になり、仕事のストレスの可能性もあると言われ、このまま耳聴こえなくなったら音楽楽しめなくなる!それは困る!と辞職を決意しました。*1

ももクロさんに出会ってからずっと支えられてました。この時期は如実に

チキンが辞めようと決意できたことも、実際に辞めるまで仕事頑張れたこともももクロさんが居なかったら無理だったのでは無いかと思います。

実際に辞めたいと伝えに行ったときは夏菜子さんのグッズのタオル握りしめて勇気もらったり、QJ夏菜子さんのインタビュー読んで勇気もらったりしてました。*2

あの時辞めてなかったらどうなってたのかと思うと、想像したくない結末になってた可能性もあるわけで、

無数の選択肢があるなか、明るい光の方に来れたのはももクロさんがあの時照らしてくれたおかげだと思ってます。

(なので、白金の夜明けの「悪い夢から目覚めたら」のところ、起き上がるっていう振り付けにも見えますが、自分にはももクロさんたちがこっちこっちって手招きしてるように見えててこの時期のこといつも思い出します)

まさに、ももクロさんは自分の人生のヒーローなわけです。

ありがとうももクロさん。

初めて行ったももクロさんのライブ

そもそもチケット取れなかったり、休み取れなかったりして初めて行ったももクロさんのライブは、2013年10月4日GOUNNツアー長野ビックハットでした。

以下当時の感想。

夢を見ているような時間でした。
いきなりのサラバ、目の前にももクロの5人。信じられなかった。
彼女たちの笑顔はほんと世界を照らすアカリですね!!
素晴らしい世界です。
夏菜子にありがとうって伝えに来たのにまたもらってばっかだった。
これからも感謝を伝えるために応援続けます。
ももクロ5人にありがとう。

GOUNNツアーは本編ペンラ点灯禁止でアンコールで解禁という使用だったのと、翌日仕事だったので最後まで見れず、ペンラ振れたのチャイマだけだったり、一番美味しい怪盗と走れ!聞けなかったりしたのも懐かしい思い出。

ちなみに、初めて買ったももクロさんの曲もGOUNNでしたね。

2回目のライブがももクリ2013だった

White Hot Blizzard 美しき極寒の世界、at西武ドームですね。

さんをつけろよデコ助野郎!って感じですが以下当時の抜粋。

奇跡的にチケット当選し奇跡的に祝日休みが取れ
奇跡の連続で実現した夢。
ももクリは競争率すっごい高いし、年末だからおいそれと休みもらえないし。
もうこの先、ももクリに参加できる機会ないんじゃないかって割と思います。
だから念願のももクリ初参戦は本当に夢のような時間だった。
DVDで何度も見たあのオープニングVとかプライド演出とかレニーハートとかケイグラントとか
それが目の前で現実に起こっていて信じられなくて夢みたいだった。現実感がなかった。


恒例のトロッコの演出がまさかのすぐ後ろの通路だったことで、息が止まりそうになりました。
我を忘れるとはまさにこのことだね。時間が止まったような感覚。音楽も何も聞こえなくなって、脳内に焼き付く映像。
いまだに信じられない。4列くらい先にももクロのみんなが居るんだもん。
バカみたいだけど、本当に実在するんだなって思ったくらいなんか訳がわからなかった。それくらい遠くにいる人たちだったから自分にとって。
だけど夏菜子は2週目トロッコ降りて、歩きだったから夏菜子だけ前通るとき見逃したんだよ!後ろ姿だけチラッと見たけど、あー悔しかったー。
何故よりによって夏菜子だけと思わずにはいられなかった(揺るぎない夏菜子推し)
まさかの全力少女でまさかの夏菜子の大サビのとこ。夏菜子は立ち見のいっちばん端っこのファンの前まで行って歌ってました。それを遠目に見てうるうるした。 *3 彼女たちの笑顔が笑顔の連鎖を生んでるんだなって。

そして、サプライズで国立で春の一大事を行うことが発表されたのもこのももクリでした。

国立発表後のモノノフのおめでとうーって声と世界のももクロナンバーワンコール。
こんなに素敵な光景は今までに見たことがない。
涙を流しながらトロッコで会場を周り、スタセレでの大合唱。「いつか気づくありがとう」で泣きました。ありがとう、ありがとう。
ももクロからのありがとうとモノノフからのありがとうが無限に連鎖して、西武ドーム全体がひとつになっていました。
その空間にいることが出来て本当に幸せでした。
こんなに頑張ってる子がちゃんと夢を叶えられる、この世界は捨てたもんじゃないかもなって思えます。
努力が報われる世界。正直者がバカを見ない世界。純粋な心が陥れられることのない世界。
もう、最後の最後まで神がかって感動的なクリスマスでした。
それは、彼女たちが挨拶終わったあとに巻き起こった世界のももクロナンバーワンコール。
そして、マイクを通さずに肉声で聞こえた「ありがとうございました」「モノノフさんだいすきです」という言葉。
ももクロの5人には感謝の気持ちでいっぱいです。素晴らしいライブを思い出をありがとうございました。
今日の一瞬一瞬が宝物です。サイリウムの光り輝くあの光景は一生忘れないだろうな。
これからもずっと応援し続けます。

仕事無事辞められました

2014年1月ごろ2年ほど勤めた調理の職場を退職しました。

ひとつ思ったこと。
「叶わない夢なんてない」
この言葉が本当にこんな世界で通用するんだってこと信じられるようになりました。
ももクロを見ていればこの夏菜子の言葉は真実だって思えたけど、自分自身にもそれが当てはまるとは思ってなかった。
彼女たちは別の次元の人たちで、特別な世界に居て…って思ってた。
でも、そうじゃなかった。
ももクロに出会ってから、この世界も捨てたもんじゃないって思えた。生きる希望が生まれた。生きていく価値のある世界だと思えた。
と、同時にどんなに無謀だろうと、どんなに非現実的だろうと叶えたい夢は叶うんだってことを信じさせてくれました。
確実に自分の人生はももクロによって変えられました。
自分が変われば世界が変わると思わせてくれた。幸せになりたいって行動するきっかけをくれた。
世界は明るいと信じさせてくれた。ポジティブな気持ちにさせてくれた。そしてたくさんの笑顔をもらってます、毎日。
まあ、まだまだこれからなんですが、本当に彼女たちには感謝したい。

良かった良かった! 長くなったので次の記事に続きます。

hyodo247.hatenablog.com

*1:普通に考えてそんな状態になる前に辞めなよって思うんですけど、 本当に追い込まれると視野狭窄になるというか、 辞めたら自分の居場所どこにも無いのではないかとか、 周りに迷惑かけるのが申し訳ないと思って自分の心を無視して働いてました。 心と矛盾した行動取ってると心と身体バラバラになります。 自分の心無視しちゃだめですよ。 皆さんもお気を付けください。

*2:伝説のQJ109号夏菜子さん特集が出たのもこの年でした

*3:補足しますと、全力少女の世界が真っ白シャットダウン大好きでして、ワクワクして待ってたら、夏菜子さんは突然トロッコから降りて姿見えなくなったんです。ビジョン観たら立見席っていう西武ドームの一番入口に近い一番遠い席のお客さんの前に夏菜子さん落ちサビ歌いに行ってて、この方は本当にすごい方だなと感動したという話です。会場がどんどん大きくなる中一番後ろの席まで届けるにはどうすればいいのかとずっと真摯に向き合っていた夏菜子さんらしいなと。